早春の精

「スプリング・エフェメラル」
 早春に咲く野草のことを、こう呼ぶことがある。エフェメラル=ephemeralは英語で「はかなきもの」という意味だそうだ。
 木々が葉を展開するのに先駆けて、花を咲かせ実をつける。そして、梢が濃い緑に覆われる頃になると、もう地上から姿を消してしまう。そんな生活史がこのニックネームの由来である。術語としては「春植物」という訳語もあるそうだが、ニュアンスを正確に伝える日本語は見つからない。
 「早春の精」というタイトルを決めて写真を選び出してみたら、雪国のものが多くなった。なかには、秋まで葉を茂らせるものもあるので、すべてが厳密な意味でスプリング・エフェメラルではないが、これらの野草の生育には、冬の積雪量が大きく関与しているのは間違いない。
 余談になるが、「ウィンター・エフェメラル」といえば「雪」のことだ。(1996年3月発行)

 

ニリンソウ ヤマエンゴサク ミスミソウ
スミレサイシン キクザキイチゲ カタクリ

 

 

山の花園

 夏になると、にわか岳人になる。
 コマクサやタカネスミレの仲間が咲く高山に立つには、かなりハードな登山になるが、花や木を見て、鳥の声や沢の音を聞きながら歩くと、それほど苦にならないから不思議だ。これが、都会のビルの階段だったら、いくら階上においしい寿司屋があっても、なかなか登る気になれない。
 しかし、撮影となると、そのうえ重い撮影機材がいる。「野山歩きは野の花一輪持ってもくたびれる」ということわざを聞いたことがあるが、カメラや三脚は「野の花」どころではないのは、想像のとおりである。
 意気地のない私の機材は最小限だ。本当に必要なレンズだけ持っていった方が、かえって迷いがなくていいものがと撮れることもある。
 もっとも、ビールを一缶あきらめれば、レンズをもう一本持っていけるのだが…。(1996年6月発行)

 

コマクサ チシマギキョウ シレトコスミレ
キバノノコマノツメ ハクサンチドリ チングルマ

 

 

秋の気配

 例年、残暑は9月に入ってからも続く。この調子で本当に秋がくるのだろうかと不安になることも多い。しかし、少なくとも私の生まれてからこのかた、秋の来ない夏はなかった。彼岸の頃になると必ず朝夕がめっきり涼しくなり、たちまち肌寒いくらいになるから不思議だ。
 そんな季節の変化を感じる能力は、人間よりも小さな植物の方がはるかに敏感だ。ヒガンバナが暦を知っているかのように彼岸を告げたかと思うと、木々の葉が色づく季節まで、急な坂を転げ落ちるかのように季節の歩みは加速度を増す。気がついてみると、いつのまにか落ち葉に霜の降りる季節を迎えているというのが、例年の実感だ。
 長袖だセーターだ、ストーブだ灯油だと、あわただしく冬支度を始める季節もそう遠くない。(1996年9月発行)

 

ヒガンバナ ノコンギク ヌカキビ
ムラサキセンブリ タカノツメ アカザ

 

 

スミレ賛歌

 冬のさなかには、誰でもが「早く春になれ」という気持ちを抱くものだが、秋にもならないうちからそういって溜息をついているようでは、もう「病気」の部類である。中学生の時に一冊の本に出会って依頼、私もその病に侵された者の一人だ。その本の名は『原色日本のスミレ』(浜栄助著)、そして病名は「紫色症候群」。
 この本に出会って、スミレに目を向けるようになり、スミレを美しく撮りたいという想いが高じて、機材をそろえ撮影の勉強をするうちに、ついには植物の写真を本業とするようになってしまった。
 1996年に、山溪ハンディ図鑑の1冊として『日本のスミレ』をまとめた時、これでスミレは卒業したいと思ったが、いざ上梓してみると、あらたな問題が続出した。特に、海外の種との関係など、分類に関する課題は多い。
 「早く春になれ」そういって溜息をつく冬は、これからも続きそうだ。(1996年12月発行)      

  

ノジスミレ ヒナスミレ フギレオオバキスミレ
アリアケスミレ スミレ エゾノタチツボスミレ

 

 

野辺の花

 誰にでも「心のふるさと」と呼べる風景があるのではないだろうか。多くの人にとってそうであるように、私にとってもその風景は幼い頃遊んだ田園風景である。
 たんぼやため池のまわりで、フナやザリガニを追いかけまわして遊んだ頃は、植物にはほとんど関心はなかったが、ひょっとすると、その頃にふと目を止めたレンゲソウやスミレの花の記憶が、潜在意識のように私の脳裏に焼きついているのかもしれない。
 いや、ともすれば何世代にも渡って、田を作り畑を耕してきた、祖先から受け継いできた日本人共通の自然観なのかもしれないとさえ、思うことがある。
 しかし、今、日本の田園は急速に失われつつある。手作業によって維持されてきた里山の植生は、農業の機械化と宅地化によって激変している。このままでは米や野菜の工場は残っても、田園は壊滅する。
 私にできることは、今のところ写真に残すことしかない。なんとかしたいという焦りでカメラを持つ手が汗ばむのを感じながら、この春もシャッターを切り続ける。(1997年3月発行)

 

ヒロハタンポポ1 フキ ナズナ
オオイヌノフグリ レンゲソウ ヒロハタンポポ2

 

 

浜辺の詩

 植物の写真を始めてから、最初に海岸に撮影に行ったのは、5月の下旬、鳥取の白兎海岸だった。
 海岸に車を止めて夜を明かすと、砂浜の草の葉一面に細かい朝露が宿っていた。まだ、陽が上がらぬうちにマツヨイグサやオオマツヨイグサを撮影し、ハマヒルガオが開くのを待って群落に広角レンズを向けた。日中は、岩場をよじのぼってタイトゴメの生き物のような姿に見入ったり、びっしりと花をつけたトベラの木に感嘆した。
 その時の写真はとても稚拙で使いものにはならないが、この時出会った植物は今でも忘れられない。毎年ハマヒルガオが咲く季節になると、どの地方にいても、ふと海岸に降りてみたくなるのは、この時の体験がベースになっている。
 しかし、残念ながら海岸は、良好な自然環境が保たれている所は少ない。また、せっかくよい群落を見つけても、ゴミが多くて撮影にならないこともある。
 ロシアの海岸を歩いた時は、さすがに海岸にゴミがほとんどなかったが、たまに見かけるのは日本のカップラーメンや食品の包装だったのには驚いた。重油をぶちまけられても、文句ばかりは言ってはいられない。(1997年6月発行)

 

ハマヒルガオ スカシユリ メノマンネングサ
ハマボウフウ ハマダイコン ハマエンドウ

 

 

尾瀬惜秋

 意外に思われるだろうが、尾瀬を初めて訪れたのは昨年6月のことである。決して意識的に敬遠していたわけでもないのだが、なぜか行く機会がなかったのだ。しかし、尾瀬を撮った写真集の中には好きな本が何冊もある。むしろ、そのイメージが強烈すぎて、安易に足を踏み入れることに躊躇を覚えたのかもしれない。
 初めて訪れるきっかけは、弟が尾瀬沼で働くようになったことだ。とはいえ、それも2年目になってのことだ。同世代の写真家、谷川洋一氏と話をするのも、尾瀬を訪れるひとつの楽しみである。長蔵小屋で越冬することで有名な谷川氏とは、以前東京でお会いして、何度か手紙のやりとりをしていた。
 「撮らされてはいけない」尾瀬のような撮り尽くされたところで写真を撮っている谷川氏は、口癖のようにそういう。しかし、私は、カメラを尾瀬の自然に預けるように実に自然体で撮影することができた。
 全く逆のことを考えているような谷川氏と私だが、「コシアブラの落ち葉はきれいだ」「ミズキも渋い」そのわりには波長が合うのである。(1997年9月発行)  

 

ツルアジサイ ズミ ヒツジグサ
コシアブラ カラコギカエデ 霜の朝

 

 

Landscape

 私は植物を主な撮影対象としているが、それ以外のものも撮る。
 植物の写真の場合は「撮らなければならない」ものがあり、それを探して撮り歩くことになる。むろん、人から強要されてというわけではない。自分なりの企画、考え方に従って撮影するのだから、本質的にいやなことをやっているわけではないが、下手をすると精神活動であるはずの撮影が「作業」になりさがることがある。
 そんな時、たまたま出会った風景にカメラを向けると、新鮮な心の動きを体験することができる。気に入れば撮る。気に入らなければ撮らない。「とりあえず押さえておく」といったような、職業写真家の悪習から離れて、心のままにシャッターを押すことができる。
 これは、私にとって、かなり有効なリフレッシュ方法で、いい風景が撮れた時は、植物の写真に向かう気持ちも、高揚してくる。カメラマンは体が資本だとよくいわれるが、同じように「心」も重要な財産だ。(1997年12月発行)  
 

 

 

梢の饗宴

 自宅を新築して、自由に木や草を生やしておけるわずかばかり地面を得た。何を生やそうかあれこれ想いを巡らせるが、やはり庭木然としたものよりも、雑木林のようにしたいと思う。
 ところが、クヌギにしてもクロモジにしても、私が生やそうと思う木の育て方など書いてある本が見あたらない。そんなもの、育て方というほどの技術を要しないということか、それともわざわざ植える人などいないということか。
 ともあれ、生やしたい木の種を拾っては蒔いてみる日々だ。一生懸命、水に漬けたり傷をつけたりしてもなかなか芽が出なかったものも、時期が来れば次々に芽を吹いたこともある。
 考えてみれば、自然の中で自分で生きている野生の植物である。その場所が気に入れば大きくなるし、気に入らなければ枯れる。あるとすれば「育て方」ではなく、「生やし方」ではないかと思うようになった。 (1998年3月発行)  

 

マルバマンサク ヤマザクラ アカシデ
コブシ ミツバツツジ フジ

 

 

夏草の詩

 夏になると高原通いが始まる。
 ドライブウェイやおみやげ屋の喧噪にはうんざりするが、意外にも少し車道をはずれるだけで、静かに夏草が花を咲かせる空間は残されている。
 高原の夏草は、色鮮やかなものが多いが、ほとんどが低地のものに比べて少し暑さに弱いだけで本来は雑草的な植物である。スキー場でも、道路の脇でも、たくましく順応する姿を見ると、ちょっと安心する。
 春が遅いように、秋は早い。夏だ夏だと思っているうちに、いつの間にか野面をなでる風がうら寂しい感傷的な気分を誘うようになると、マツムシソウが目立ちはじめ、ススキの穂が出始める。
 春を追いかけて高原を駆け上がってきた季節前線も、ここで折り返し里へと向かうのである。 (1998年6月発行)

 

コバギボウシ ヤマホタルブクロ バイケイソウ
コウリンカ メマツヨイグサ オタカラコウ

 

 

秋の気配

 秋の野はなぜか無性にさびしい。乾いた風が野面をなでると、どこかに帰らなければという、とらえどころのない想いにかりたてられる。
 夏の野で灼熱の太陽に照らされているときも、確かに家に帰りたいと思うが、それは屋根のある涼しいところで休みたいというフィジカルな欲求だ。いわば、皮膚の表面が感じている感覚にすぎない。
 ところが、秋の野で感じる寂寥感というか郷愁というか、この想いは、もっともっと体の奥深くからわいてくる深い衝動のような気がする。
 氷期を生き抜いてきた古代人の頃からの記憶か、鳥や獣や昆虫たちと同じような体内カレンダーのなごりなのか、むろん、科学的な根拠があるわけではないが、そんなことを考えてみたくなる。
 秋風は、人を詩人や哲学者にだけでなく、空想科学者にまで仕立て上げる魔法の風なのかもしれない。(1998年9月発行)

 

サワギキョウ ナギナタコウジュ アカザ
ミゾソバ オオニシキソウ 秋の林

 

 

探春記

 今年小学校にあがった子どもの父兄参観に行った。参観とはいっても昔のように父兄がそろって教室の後ろから授業を見るというようなかしこまったものではなく、学校開放日なるものが設けられて、その日は一日どの時間でも自由に参観に行ってよいというスタイルだ。
 子どもたちも、昔の参観に比べればずっとリラックスしているし、携帯電話を腰にぶらさげ営業の途中とおぼしきお父さんも気軽に参観に来ている。
 授業内容も、低学年の理科や社会は「生活科」という科目になった。私が参観した授業は、近くの河原に「秋みつけ」に行く計画を話し合うという生活科の授業だった。教室の背面には、落ち葉や秋の花の絵がどこで見つけたかとともに描かれた「秋みつけカード」なるものが貼られていた。
 考えてみれば秋や春を体感することは、理科や社会などという学問の名前を持ち出さずとも、人間の「生活」そのものだ。
 私たちの子供時代に、アサガオを育て落ち葉や木の実を拾うことが、なぜ「理科」でしかなかったのか今思えば不思議である。(1998年12月発行)

 

フクジュソウ ヒメスミレ ヤマザクラ
カラスノエンドウ サルトリイバラ 柿畑の春

植物図鑑・撮れたてドットコム