どこにあるか、誰も知らないけれど、確かに、その森はあるのです。
地球のどこか、宇宙のどこか、誰にも知られずに。

ひっそりと、だけど鮮やかに、
優しい風と音と、光にかこまれた、可愛い森。

そう、可愛い森、であることが、その森の住民の自慢です。

 

 

森の住民のひとりである、つばさねこは、今日も、朝を迎えました。

ああ、いい天気だぞ。空が青いぞ。
見上げると、さあっと、広い影が過ぎ去りました。

 

 

アオサギです。

ふつう、アオサギというと、青いような、灰色のような、
川の水の色のような鳥を、みなさんは思い浮かべるかもしれません。

ですが、この森のアオサギはちがいます。
空から溶けて生まれたような青い体もつややかに、ご自慢の長いしなやかな頸にスカーフをまいて、この森でも一番のおしゃれと、誰もが囁きます。

つばさねこは、ねこというだけあって、猫なのですが、
おしりに翼があります。ふうわりと、白い、柔らかい翼。

しかし、同じ翼といえど、違うこと、違うこと。
つばさねこは、あんな風に、滑空はできません。
綺麗なスカーフを風にまかせて、飛ぶことなど、できません。

つばさねこはため息をつきました。
ああ、なんとかっこいいのだろう。

アオサギは風のように瞬く間に遠くへゆき、ライオン山の向こうへ消えて行きました。

 

 

つばさねこは、自分の翼をひと撫で。
ほわほわの、柔らかい羽根です。
柔らかくて力のない、風に舞うなど到底無理で、
一度風に乗ろうものなら、風に遊ばれてしまうでしょう。
つばさねこは、翼を広げて、ゆっくりと羽ばたかせます。

つばさねこの体は、おしりからゆっくりと、上に上がって行きます。
ふわふわと動きながら、今日の朝ごはんを取りに行くのです。

 

 

高い木の実を翼で飛んで、もいで行くのです。
実を持つと、木は柔らかくたわみ、つばさねこにどうぞ、というように、
手元にやってきます。
つばさねこは、爪でぱちん、と切って、木の実を手に入れます。
「ありがとう」そう言って、つばさねこはいつものように、下に降りようとしました。
でも。

 

 

ああ、アオサギさんはかっこよかったなあ。
もしかしたら、飛べるかもしれない。
僕も、あんなふうに、飛べるかもしれない。

つばさねこは、ちょっとだけ、つよく、翼をはためかせました。
いつもより、高くからだが浮きました。
もう少し高い場所では、早い鳥たちが乗る強い風が吹いています。
「あの風にのれたなら。・・・・」

 

 

つばさねこが、もっと強く翼を動かしたとき、
強い風が通り抜けました。
滑空する広い影、アオサギです。

「あ、」とつばさねこが思った時、アオサギは、ちらりとつばさねこを見やり、
広角をきゅっとあげて、
ふふ、と。
笑ったのです。

つばさねこは、急に、全身の血液がぐんぐん動いて、
顔が真っ赤になりました。
そうして、急いで地上に降りました。
一目散に走って、家へ戻ります。

 

 

家に戻ってからも、つばさねこは、ぐるぐると走り続けました。
「ああ。なんで、あんなことをしたのだろう。
ぼくの翼で、あんなに早く、高く、飛べるはずないじゃないか。」
ぐるぐると走り続けて、ばったりと倒れました。
せっかく取ってきた木の実も、食べる気持ちになりません。
木の実を転がしたまま、つばさねこは、布団に包まりました。

何度も何度も布団の中で転がりながら、そのうち、眠ってしまいました。

 

 

ふと目を覚ますと、もう辺りは暗くなっていました。

ヒトリが、夜を呼んだのでしょう。
この森では、日暮れと夜明けを、ヒトリという大きな鳥が管理しているのです。

みんながよく眠れるように、琴を奏で、また、朝を呼ぶのです。
今日はシソチョウの笛の音も高らかに、満月の明るい夜を彩っています。
笛の音も琴の音も、踊るように、跳ねるように、きっと今日はよい夜なのでしょう。
だのに、つばさねこは、ぽつり、ぽつりと涙を零しました。
「ああ、どうして、僕は、こんなにもかっこわるいのだろう。
ふわふわとした羽根が、お尻なんかについて、
なんて僕はかっこわるいのだろう。
せめて背中についていたのなら。
こんな滑稽な翼ではなく、しゅっとした、風切り羽のついた、羽根ならば。」

さやさやと注ぐ月の光は、つばさねこに深い影を指すのです。
ぽつりと涙を零しながら、笛と琴の音は、それでもやさしく響くのでした。

 

 

やがて、ヒトリが朝を呼んで、つばさねこは、とぼとぼと起き上がりました。
木の葉のシーツでお尻を隠しながら外に出ると、また、すうっと滑空する影が映りました。
見なくたってわかります。
アオサギです。
今日もつややかに青い羽根を空に溶かし、風に乗るのでしょう。
つばさねこはそちらを見ませんでした。
そして、昨日食べそびれた木の実を口にしました。
ほんのり甘く、口の中でほろほろ溶けていきます。
飲み込むと、まるで体の中に沁みるように広がっていきます。

頑張らなきゃな。
ぼくは、ぼくなんだ。
そう、言い聞かせるのでした。

 

 

太陽が、真上に来た頃、つばさねこの頭上に、さあっと青い影が降りてきて、たちまち、つばさねこの横に、アオサギとなって降り立ちました。

「やあ、」とアオサギは言います。
つばさねこはそっぽを向いて「こんにちは、」と小さく言いました。

「今朝はあの木の実を取りに来なかったのだね、どうしたんだい。」
アオサギはしぶい、しゃがれた声でいいました。

「まだ木の実は残っていたから、」とつばさねこは答えます。
小さな声で、やっぱりそっぽを向いたままで。

「あの木が心配しているよ。」
アオサギが言うと、「え、」とつばさねこはそちらを向きました。

「毎朝来るのに、今日は来ない。
怪我でもしていないか、見てきておくれ、というので、来たのだ。
怪我ではないようだね。」
アオサギは低く笑いました。

つばさねこは、昨日のアオサギの笑いを思いだしました。

 

 

そして、ふてくされて、
なぜ笑うのですか、と呟きました。

すると、ふふ、と低く笑って、「そりゃあ、笑顔になるさ、」とアオサギは、つばさねこをみました。
「だって、君が飛ぶと、地面に、ハートの形ができる。」

つばさねこは、驚いて大きな声を出しました。
「うそだ。」
アオサギはきっと、馬鹿にしているのだと、思ったのです。

「違わないさ。じゃあ、飛んでみてご覧。
それで嘘なら、ぼくは羽根を黒く染めよう。」
そういわれては、無下に嘘とも言えません。

 

 

つばさねこは、飛んでみました。
すると、地面には、くっきりと、ハートの影が映ったではありませんか。

「君の翼は心の翼。」
あの木はそう言ったよ。
木の幹の皮が弱いから、爪を立てられると、とても痛い。
だから、つばさねこの先祖は、毛の多いお尻のところで羽根を生やして、
木を傷つけないように進化した。
なるほど、だからハートの形なのだと、ぼくは納得したよ。

つばさねこは、何にも知りませんでした。
自分が地面に作る影の形も、木の実を差し出してくれる、あの枝の想いも。

 

 

君は元気だと、伝えてくるよ。
アオサギはそう言うと、美しい羽根を、さっそうとはためかせ、
あっという間に彼方へと飛んで行きました。

太陽は、真上からすこしずれて、もう、夕方へと時間が向かっていることを伝えました。
つばさねこは、残りの木の実を口にしました。
甘く、甘く、じんわりと体に染み込んでいきます。
すべてかじり終えて、つばさねこは、残ったタネを、
日当たりが良い、ほわほわとした土の中に埋めました。
いつか、芽を出すことを祈りながら。

 

 

 

また、この可愛らしい森に朝がやってきて、
つばさねこは、お尻の、ふうわりとした白い羽根で、ゆっくりと舞い上がります。
そして、そっと枝をもたげて、差し出された木の実を受け取ります。

ありがとう、と、笑いながら。
応えるように風に揺れる木の葉の影の横に、今日も、ハートの影が寄り添うのでした。

(おしまい)

 

とりりすとふしぎな森
「つばさねこの朝」

じんけ 上岡 響

 

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