Apple iPhone 12 Pro Max (5.1mm, f/1.6, 1/121 sec, ISO32)
◆パーソナルコンピュータとの出会い
生まれて初めてパーソナルコンピュータなるものに触ったのはいつだろうか?おそらく印刷会社に勤めていた、1988年ごろ、その会社のアメリカ帰りの二代目の若社長が会社の代表権を持つようになり、支店に一台づつMacを配置した時だ。機種はよくわからないがMacintosh SEあたりではなかったかと思う。
その時すでに、今に版下はすべてMacで作るようになるだろうと言われていたが、その機種はビットマップフォントしかないモノクロで、MacWriteかなんかのワープロは入っていたが、PageMakerが使えるわけでもなく、レザープリンタで出力した文書はギザギザの文字、事務員たちが使っていたオアシスや文豪で作ったものの方が遥かに美しかった。それでも、制作チームに触ることを許されている唯一のコンピュータだったので、それで楽器メーカーのコンペへもってゆくプレゼンの書類などを作っていた。
独立した1991年頃はまだまだDTP革命前で、その会社ではチラシの組版に特化したいわゆる電産写植機をソニーとの合弁会社を作って開発したりしていた。当然のことながらMacのDTPが普及を始めるとコスト面では太刀打ちできずそのうち消え去った。私は受注した小規模な印刷関連の仕事や、自前のポストカードの制作のために写植を外注して版下を作っていたが、文豪でプリントアウトしたものを下敷きに書体指定をして写植屋さんに持ちこみ、今度はその写植を台紙に貼るという作業をしていた。文豪で写植と同じクオリティーの文字がプリントできれば仕事はずいぶん捗るはずだと感じはじめていた。
いよいよDTP時代の靴音が響いてきたそんな頃、当時執筆していた「日本のスミレ」という本の原稿をめぐって、ワープロの限界を感じる出来事があった。文豪で作った原稿をテキストファイルにしてヤマケイにもっていたったところ、編集者が開けないというのだ。「カクチョウシはつけましたか?」と言われても何のことだかわからなかった。文豪でやり直すとしたら、全てのファイルをもう一度保存し直さなければならない。3時間仕事である。豊橋に帰る前に、NECのショールームで見てもらったら、やはり拡張子が付いてないのが原因だろうとのこと。諦めて豊橋に帰ろうとおもったところで、「10分ほどお待ちいただければつけて差し上げられます」というではないか。この一件でとにかくパーソナルコンピュータを手に入れるしかないと確信した。
文豪との相性からしてNECという選択肢もあったが、時はDTP時代が目前に迫っていた。当時次々に出版されたであろうDTPの指南書の一冊に感化され、Macしかないと決め200万ほどのローンを組んだ。毎月の写植外注費をローンに当てた形だった。
◆DTPへの憧憬 〜PowerMacとMiroline〜
1995年の夏。PowerMacの新型が発売されるというのでそれを待って購入。記憶が確かなら、PowerMac7100。メモリは16MB、HDDが1GBだったと思う。ちょうど今年購入したMacBookProは16GBに1TBとジャスト1000倍のスペックだ。
Macそのものよりも高いのは、プリンタやソフト、そしてフォントだった。当時、データ入稿というのはまだまだ夢の話で、当面はプリンタでの出力の軽印刷も多いだろうと見込まれた。プリンタが中途半端では他の機材が無駄になる。OKIのMicroline A3ノビのレーザープリンタは60万ほどの上に、プリンタにインストールするモリサワの高解像度フォントは1書体4万円近かった。揃えたソフトは、PageMaker、FreeHand、OFFICEなどである。その時読んでいた指南書がこの組み合わせだったのだが、今思えば情報収集が足りなかった。すでにペラものの制作はほとんどがIllustratorで行われており、PageMakerで入稿できる印刷所は地方にはほとんどなかった。それもあり、データ入稿よりももっぱら自前のプリンタを版下として使っていた。
Apple iPhone 12 Pro Max (5.1mm, f/1.6, 1/121 sec, ISO80)
◆ノマドへの憧憬 〜Power Book〜
Macを使うようになって革命が起こったのは印刷物の製作だけではなかった。前述した「日本のスミレ」の編集が一段落した1996年2月。Macを手に入れてからかねがねやりたいと思っていたパソコン通信なるものに手を染めた。当時、niftyが主催していたNiftyServeというものがあった。今で言えば完全にSNSである。そのNiftyServeの中に植物好きが集まる「緑の散歩道」という会議室があり頻繁にオフ会といわれる観察会も開かれていた。その春にはインターネットも開通し、メールのやりとりができる人も少しづつできてきた。当時から車中泊の多い自分の生活からすると、旅先でMacで連絡がとりあえるというのはまさに夢だった。同時に普及してきた携帯電話の電波にモデムを繋げばメールくらい落とすことができる。程なくモノクロのPowerBookを手に入れたのは必然といえば必然だった。最初に購入した機種は思い出せないが、2台目はPowerBook190cs、3台目はPowerBook1400csと、都合3台のPowerBookを使ったと思う。
Apple iPhone 12 Pro Max (7.5mm, f/2.2, 1/99 sec, ISO64)
◆窓への憧憬 〜Vaio PCG-C1R〜
1999年の2月、私は東京郊外のとある会社の一室でWindowsNTに向かっていた。翌年、エプソンから発売される予定の電子手帳のようなもの向けのサイトの一角になるオンライン植物図鑑の製作のまとめにかかっていた。ちなみにその「電子手帳のようなもの」とは、GPSを装備して地図ソフトと連動させるもので、まさに今のスマートフォンのに近いものだった。今思えば時代を先どりしすぎていたのかもしれない。その制作チームでエンジニアやデザイナーと仕事をできたのは、のちに「撮れたてドットコム」を制作するために大きなプラスになった。
問題はその会社の社長だったH氏のMac嫌いである。私の数日間の滞在中、ちょうど発売されてまもないSonyのWindows機PCG-C1Rを買ってきたのである。当時私が運んでいたPowerBook1400scと比べると、価格も重量も半分。しかも、動きはというと体感的には倍くらいの速さが感じられた。その頃は、毎年新刊を出し、印刷仲介的な仕事がかなり少なくなっていた。また、Windows DTPも話題になっていたし、それ以上に世はWindows98とインターネットの大ムーブメントの最中だった。一方、MacはといえばCoplandの開発に失敗し、Windowsに完全に水を開けられた感じだった。特にモバイル機の性能は誰が見てもWindowsにアドバンテージがあった。
しばらくは、最初に購入したPowerMacにG3ブースターをつけて使っていたが、主にMacのネット環境をモニタリングするための機材としてだった。以降、何台かのvaioやDOS/V機を使うことになった。
◆GPUへの憧憬 〜MSI Prestige14 〜
この間、写真家としての仕事も大きく変わった。デジタルでの撮影が主力になったのは2005年あたりだ。同時にプロのデザイナーでなくとも印刷物のデータ入稿は当たり前になった。何よりマシンパワーが要求されるようになったのは動画編集だ。2020年まで使ったWindows機はDynabookの第5世代i5モデル。軽量でバランスがよく気に入っていたが、コロナ禍で要求されたOBSを使ってのHD配信にはいかにも非力だった。ノートPCとしてはディスプレイがいいという触れ込みだったが、画像の調整ができるようなものではない。持続化給付金もあてにして、この際、配信や4K動画の編集も無理がなく、できれば旅先で画像の調整が可能なディスプレイをもつWindows機を探し、たどり着いたのがMSIだった。正確な機種名はPRESTIGE14A10RAS-085JP となる。第10世代、core i7にGeforce MX330という仕様だ。何より、AdobeRGB100%カバーするリアルカラーとやらが魅力だった。ディスプレイがカラー調整に使えるなら、念願の完全ノマド仕様が叶う。しかし、残念ながらスピードはよいが、ディスプレイは使い物にならなかった。測色機を使っても合わないし、手動でなんとか違和感ないくらいのところまでにはしてあるが、とても細かいカラー調整ができる代物ではない。また、ファンの騒音が相当なもので、オフセット印刷の輪転機を思わせる。そして、電力の消費量が凄まじくバッテリー駆動ではパワーも落ちるしほとんど実用にならない。また、放熱も激しい。まさにゲーム機を作ってきたメーカーだけのことはある。それでもまだ購入して2年半。せめて4年くらいは使いたいと思っていたが、photoshopの最新版でCameraRAWが動かなくなって、Adobeのサポートに遠隔で見てもらったところ、VRAMが不足気味なので古いバージョンを使うようにと言われた。
◆ただいMacintosh
次に購入するPCに求めることは、動画編集やDTP作業が無理なくできるマシンパワーもだが、カラーマネージメントが可能なモバイルディスプレイが使えるものであることだ。MSIもDynabookもメーカーの触れ込みに期待したが、プロの映像作家がカラー調整に使えるような代物ではなかった。EIZOやBen-qといった色評価用モニタを作っているメーカーがノートPCを作ってくれないかと考えてもみたが、結局はきちんと色調整をするとしたらほとんどの人は固定環境でやるのであえてノートPCに高価なディスプレイを使う必要はない。そして、そんなことをあえてやるメーカーがあるとすればAppleだけである。それは以前からわかっていたが、コンピュータのプラットフォームを変えるというのはたいへんなことだった。OS XになったときMacの維持を諦めたのも、ソフトの更新がコスト的に高すぎたことが一因だ。しかし、現在では多くのソフトがサブスク化、クロスプラットフォーム化している。特にAdobeCCが完全にノーコストで移行できる。そうなればMacのカラーマネージメントのメリットは大きい。そして、少し調べてみると、M1チップは革命的なアドヴァンテージをもつことが理解できた。OS8時代、高くて大きくて遅くて不安定でも、それでもその魅力の虜になった人たちが使う道具だったMacintoshというコンピュータがついに実用的にも素晴らしい道具となって帰ってきた。いや、帰ってきたのは私の方か?
Apple iPhone 12 Pro Max (7.5mm, f/2.2, 1/99 sec, ISO50)
Apple iPhone 12 Pro Max (5.1mm, f/1.6, 1/696 sec, ISO32)
◆速さ、静けさ、軽さ
私が購入したモデルは、MacBook Pro 14インチ Apple M1 Proチップ(10コアCPU/16コアGPU)/SSD 1TB/メモリ 16GBといういわゆる「吊るし」のモデルだ。32万円ほどと少々高価ではあるが、HDMI端子、SDカードスロット、Thanderbolt端子が3つついているなど、物理的なスペックが高いのは長く使うことを考えるとアドヴァンテージが高い。納品から24時間、まずは初期設定をして、少々の調べ物をしながらこんな文章を書いてみているだけで、スピードを実感するほどのことをしてはいないが、とにかく未だ一度もファンは回っていない。本当にファンがついているのか不安になる程だ。耳を近づけても全く音はしない。動きもとにかく軽いが、むしろIMへの不慣れからこちらの入力が追いつかない。
◆ディスプレイ性能
AdobeRGBモードで調整されたEIZOの色評価用ディスプレイをデュアルモニタにしてみると、ほぼ完全に色が合う。経年変化で調整は必要になってくるだろうが、現時点ではそのまま色調整に使えそうだ。これがノートPCで実現出来るのはMacならではだろう。マシンパワーが同じだとしても、この分だけMacのアドバンテージは高い。念願のフルノマド化(すべての仕事をモバイル環境でこなせる)が実現しそうだ。そしてバッテリーの持ちがいいのにも驚いた。満充電してあれば一日中使っていても半分使うかどうかだ。
◆窓からの移行問題
Windows環境からの移行問題が一番の懸案だ。まず、AdobeCCとOFFICEはなんの問題もなく使える。気がかりだったのはメーラーである。WindowsのOutlookなどは最悪で、ログのバックアップが難しい。MacからWinに移行した時にこれがどうしようもなくて、Beckyというシェアウェアを長年使っている。メールログを格納するフォルダを外部ストレージを含めて自由に選べるのでバックアップも簡単だ。まるでMacのソフトのような自由さがあるのだが、残念ながらMac版はない。いろいろメーラーを探してはみたが、結局クラウドメールが一番ということになった。GoogleはiPhone写真のバックアップ用に2TBの容量を確保してあるし、Yahooはプレミアム会員になっているので無制限でメールを使える。オリジナルドメインのアドレスをgmailに設定して、バックアップ用にYahooにも同じメールを転送するようにしてある。唯一の気がかりは電波の悪いところで仕事をすることの多いことだが、iPhoneのローカルに最近のメールが残されているのでほとんどのケースは問題ないだろう。
盲点だったのは、ディスクフォーマット。WinではNTFSが、MacではAPFSが主流になっている。まず、NTFS for Macというユーティリティーがあることがわかった。今のところこれで問題なく読めているが、残念なのは、MacのバックアップシステムTimeMachineを使うにはAPFSでなくてはならない。これは便利そうだが、しばらくの間Win Mac混在環境になることを考えると、Winではまったく読めないAPFSを使うわけにはいかない。と考えてみたが、少し調べてみるとWin側からAPFSを読み書きするツールも色々あるようだ。外部ストレージを更新するタイミングで逆パターンも検討する価値がある。