旅をせんとや

旅は多くの生物の雄に宿命づけられた掟のようなものである。

飼い猫の子も雄はすぐにいなくなる。被子植物の雌蕊は花を咲かせて柱頭を残すが、雄蕊は花粉を風や虫に託して旅をさせる。

もっとも、人間を始めとして哺乳類の雌の中には雄以上に旅をする個体もあるようなので、一概に雄の特権とは言えないが、少なくとも、多くの生物にとって、旅は雌雄にかかわらず、遺伝的多様性と種の保存に大きくかかわる根源的な習性であることはまちがいない。

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22歳ころ?笛吹行脚時代。霧降高原で撮影

旅に目覚めたのはいつ頃だろうか?小学生の頃、近所の知らない道を自転車で走り回るのが好きだった。

高校生になるころ、自転車で1日100kmくらいなら走れることが分かり、高1の夏休みに、友達の親戚を訪ねて愛知県から能登半島まで行ったのが、今思えば放浪癖の始まりだった。

もちろん宿などとらず、テントもなく、自転車のカバーを靴ひもで縫い合わせて自作したシュラフカバーを適当な草むらに広げて野宿した。

のちのち、快適に泊まれるところ(学校の軒下やバス停小屋など)を探し出す能力が身についてからは、そんなシュラフカバーは使わなくなったが。

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笛吹行脚時代のキャンプ

テントなどは持つようになったが、おおよそこんなスタイルの旅は、23歳で原付免許を取るまで変わらなかった。

時々、「車中泊の旅は大変でしょう?」などと言われるが、こういう旅から始めた者にとって、大変どころか快適でしょうがない。

ただし、車両の購入費や維持費を考えると、安宿を使うのと経費は変わらない。しかし、宿をとるのに比べれば、実際にフィールドワークに使える時間は格段に増える。

なにより、天候や気分によって泊まるところを選べる「自由」が、なにものにも替えがたいメリットである。

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