日隆スミレ物語

Viola Story At Ri-Long

日隆スミレ物語

 

 もちろん、中国語はまったくわからない。この村では、日本語はおろか英語の通じる人にもほとんど出会っていない。
 おそるおそる少女に声をかけてみる「ニイハオ」。言葉のわからない中国で、心強いコミュニケーションの手段は筆談である。ノートに「栽培?野生?」と書いて少年が手に持っているスミレを指さしてみる。少女は「野生」を指した。
 少女もこの異邦人に興味があるらしい。"Where are you from?"驚いたことに少女の口からでたのは英語だった。中学生程度の英語だが、筆談を交えれば十分通じる。
 花の形や色は知らないということ。お父さんに頼まれてこのスミレを摘みに来たこと。はれ物の薬として使うこと。少女は林希17歳、少年は林金12歳の姉弟であること。
 少女は私に職業や旅の目的を尋ねる。まっすぐな視線が印象

的だった。「このスミレを少しわけてくれないか」こう頼むと、快く差しだした。
 
日隆再訪
 翌年、私は、再びこの日隆を訪れる機会を得た。昨年より一月早い6月だ。問題のスミレが咲いているのではという期待はいやが上にも高まった。
 姉弟が成都の学校へ行ってしまったことは、彼女からの手紙で知っていた。今回の目的はその父親、林徳清に会って、問題のスミレの自生地を調べることだった。日隆について、最初にしたことは彼の家を探すことだ。
 ホテルの門を出ようとすると"Hi"と英語風に声をかける少女がいる。日隆の少女は決して用もないのに外国人に話しかけたりはしない。第一英語をしゃべらない。彼女は、成都からこのホテルに働きに来ているアルバイトだという。しかし、とにかく

林徳清さんは、この村の医師だった

通訳してもらえるのは助かる。
 名前と住所を見せると、彼女は快く案内してくれた。「日隆工生所」林さんの住所はそこである。それがどんな施設であるか、どうして今まで考えることをしなかったのだろうか。「工生所」とは診療所のことだった。林徳清氏はこの村の医師であり、姉弟は、その父の仕事を手伝って、治療に使う薬の原料を採りにいった帰りに、私に出会ったのである。 翌々日、林さんは私をそのスミレの自生地へ案内してくれた。村を

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photo and text by Masashi Igari
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